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先日妻から、保育園に通う末っ子が微熱を出しているとの報告。今年に入ってから、オミクロン株の爆発的な感染拡大で、たびたび保育園では感染疑いが出たために休園としたクラスも有りました。しかし末っ子のクラスは特にそういった事も無く、平穏に過ごしておりました。
その報告を聞いた時は、とうとう我が家にもコロナの魔手が届いてしまった(かもしれない)衝撃で、妻に心配されるくらい狼狽えてしまい、気が張っていたのか翌日の検査で陰性の結果が出た時は、膝が抜けるくらい安堵しました。
家族がコロナ陽性になってしまったら…という想定は、以前からしているつもりではありましたが、いざ直面すると慌ててしまい、想定していたことも吹き飛んでしまいました。これを機に妻と話し合い、家族がコロナ陽性になった場合の連絡先や準備するものを書き起こしてリスト化し、常に目に入るところに置いておくことにしました。普段から想定しておくことの大事さを、改めて痛感した次第です。
さて、「想定は大事」と書いたところですが、「想定にとらわれないこともまた大事である」という例があります。
岩手県の三陸海岸に位置する釜石市という町があります。リアス式海岸と世界でも有数の漁場の一部であり、豊かな漁獲量を誇ります。また、近代における製鉄業の嚆矢となった町でもあります。しかしながら、こと東日本大震災においては、この豊かな漁場を育んだ入り組んだ地形であるリアス式海岸が、不幸にも津波の高さを上げてしまう原因ともなりました。
ここ釜石市で、当時メディアに報道された「釜石の奇跡」というものがあります。市内でも最も大きな打撃を受けた鵜住居小学校と、釜石東中学校ではマグニチュード9.0の地震発生後、津波が校舎の3階まで押し寄せました。最も津波による被害が激しかった箇所の一つである釜石市で、この小学校・中学校の生徒570名は、全員無事に避難することができました。これが、釜石の奇跡といわれているものです。
ただ、地元の釜石では「奇跡」と呼ぶほどの扱われ方ではなく、日ごろからの訓練の賜物だと思われているようです。なぜなら、以前より釜石市内では、群馬大学の社会環境デザイン工学の片田教授による指導の下に防災教育プログラムに取り組んでいました。年間5~10時間の防災授業を設け、生徒自らが登下校時の避難計画を立て、年1回の小中学校合同訓練を行いました。これらを行う中で、さらに避難三原則といわれる「想定にとらわれない」、「状況下において最善を尽くす」、「率先避難者になる(真っ先に逃げる)」を徹底しました。最初は想定訓練のとおりに校舎の3階に避難していたそうですが、未曾有の大地震であったことから「想定にとらわれない」という意識に切り替えて校庭に飛び出し、高台へ避難し、難を逃れることができたそうです。
極限状態にありながらこの判断にたどり着くことができたのは素晴らしいことですし、やはり日頃の訓練、そして臨機応変な対応が何よりも大事なのだと感じました。
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